豊後国
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豊後国(ぶんごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、西海道に位置する。現在の大分県のうち北部を除いた大部分にあたる。豊前国と豊後国のどちらか一方、あるいは両方をさして豊州(ほうしゅう)と称するようになった。また、豊国と同じ地域、すなわち、豊前国と豊後国の両国をさす語としては、二豊(にほう)も用いられる。延喜式での格は上国、遠国。
豊後国風土記は、全国で5つだけのほぼ完全な形で残る風土記の1つである。
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[編集] 沿革
7世紀末に、豊国(とよのくに、とよくに)を分割して、豊前国とともに設けられた。豊後は、平安時代まで和名で「とよくにのみちのしり」と読んだ。
[編集] 国府・一宮など
国府は大分郡にあった。現在の大分市古国府と推定されるが、遺跡はまだ見つかっていない。
延喜式神名帳には大社1座1社・小社5座4社の計6座5社が記載されている。大社は西寒多神社(大分市寒田)である(名神大社ではない)。一宮は西寒多神社と柞原八幡宮(大分市上八幡)とが並立し、古くから論争が続いていた。二宮以下、総社は不詳である。
[編集] 守護
[編集] 鎌倉幕府
[編集] 室町幕府
- 1333年 - 大友貞宗
- 1334年 - 1352年 - 大友氏泰
- 1352年 - 1364年 - 大友氏時
- 1364年 - 1367年 - 大友氏継
- 1371年 - 1416年 - 大友親世
- 1372年 - 1376年 - 大友氏継
- 1416年 - 1426年 - 大友親著
- 1427年 - 1429年 - 大友持直
- 1444年 - ? - 大友親繁
- 1453年 - 1458年 - 大友親綱
- 1469年 - 1482年 - 大友親繁
- 1482年 - 1484年 - 大友政親
- 1484年 - 1496年 - 大友義右
- 1496年 - 1501年 - 大友親治
- 1501年 - 1516年 - 大友義親(義長)
- 1525年 - 1550年 - 大友義鑑
[編集] 郡
- 特記した以外は『豊後国風土記』での表記による。
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
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