モハンマド・モサッデク
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モハンマド・モサッデグ(محمد مصدق 、1882年5月19日~1967年3月5日)はイランの民族主義者、政治家。イラン首相(1951~)となり、1951年、資源ナショナリズムの先駆ともされる石油国有化政策を行った(→アーバーダーン危機、も参照)。
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[編集] プロフィール
[編集] イラン首相
モサッデグは第二次世界大戦後の1949年に民族主義的な国民戦線を組織して指導者となり、1951年にイランの首相に就任した。
[編集] 石油国有化政策
第二次世界大戦においてイランは北はソ連、南はイギリスに占領され(→イラン進駐)、戦後もイギリスの影響力の強い政権が続き、アングロ・イラニアン石油会社(AIOC)はアバダンの石油を独占していた。そこにソ連も同じような利権を得ようとイランに圧力をかけたことでイランは石油の重要性を改めて認識し、以前からあった石油生産を国有化する考えを民族主義者モサッデグによる石油国有化政策につなげていった。
モサッデグは「アングロ・イラニアン石油会社の利益をイギリスとイランが半々ずつ受け取る」という石油協定の改正案には、イギリスのイラン支配継続の意図をみて、断固として反対した。石油国有化はイランの完全な主権回復を主張する運動のシンボルとして盛り上がりを増し、1951年の首相就任後に石油国有化法を可決させてアングロ・イラニアン石油会社から石油利権を取り戻し(イギリスのイラン支配の終結)、石油産業を国有化した。
しかし国際石油資本(メジャー)によるイラン石油の国際市場からの締め出しのためにイラン政府は財政難に瀕し、国民戦線の内部では離反者が出るなどしてモサッデグの支持が失われていく中、1953年にアメリカ政府、イギリス政府が画策したCIAによる皇帝派クーデターによってモサッデグなど国民戦線のメンバーは逮捕され、モサッデグは失脚した。

